長門湯本の宿は「玉仙閣」
とにかく楊貴妃だらけ。
楊貴妃日本漂着伝説みたいなのがあるらしい。
むか~しむかし、中国の唐という国に楊貴妃という絶世の美女がおったそうな、、
「安禄山の乱」で殺害されたはずの楊貴妃!
それが実は、実は生きていて、
なんとお椀型の船に乗って(一寸法師か???)
日本に流れ着いたそうな、、
その流れ着いた所というのが山口県北端の油谷、というところだったそうな、、、
でも、何日もお椀の船に揺られてた楊貴妃は、たいそうお疲れになって、
日本にたどり着くやいなや心身の過労が祟ったのか、死んでしまわれたそうな、、
哀れに思った村人たちが、埋葬してお墓を作ったそうな、、、
そのお墓の話が、ある時、中国の新聞に載ったそうな、、、
という昔ばなし。
それを知った、旅館の主が楊貴妃のことを調べていくうちにどんどんはまり、
唐で楊貴妃が入浴していたといわれる「華清池」にある「海棠の湯」という風呂を
長門湯本に再現したい!
という夢を抱いて
実際に作ってしまった、、という話が書かれているのが、
「楊貴妃に恋をした男たち」
部屋に備品としておかれていたけれど、一気に読んでしまった。
館内は、中国雑貨であふれていて、
「ここは、もしかして日本じゃなくて中国?」
と勘違いしそうになる。
楊貴妃風呂は、120㎝の立ち湯で浴槽内に玉座がしつらえてある。
そこに座るとちょうど肩あたりまで湯がくる。
20年くらい前、西安で、実際に華清池を訪れた。
ここがあの有名な「長恨歌」
「春寒くして浴を賜う華清の池、温泉の水滑らかにして凝脂を洗う」
の舞台なのか、とちょっと感動ものだったので、よく記憶している。
もちろん、本場で入浴はできなかったけど。
閑話休題
翌朝は「女湯」と「男湯」が入れ替わるので、朝風呂は玄宗皇帝風呂「太子湯」に。
(玄宗皇帝が入ってたのは「蓮華湯」だったような気もするけど)
きれいな長方形で男らしい、、
風呂に男らしい、女らしい、なんてあるのか、と思いつつ、
でも、やはり「海棠の湯」は女らしくたおやかで、
「太子湯」はキリっと男らしい。
フロントのそばには、彫像が、、
宿の主が、惚れこんでいるのがよくわかる。
けど、3頭身か???
こんなものまであったので、ちょっと楊貴妃ってみた(笑)
↑ アホですね!
同じ山口でも前夜の旅館とは大違い、、
とてもとても楽しめました(^^)v
翌日は、長門湯本駅から、美祢線で「厚狭」まで。
一両編成です。
「厚狭」って駅名はこれまで知らず、なんて読むんだろう??
という無知なレベル・・・「あさ」です
なんと、新幹線の駅でもありました、、ビックリ‼
1999年の開業とか…
厚狭からは、また山陽線
「新山口駅」 デカい
土産物屋も大きい、、フグのワサビ和えとか、
ランチ用のパンとかを購入して乗車!!
今回も無事に、帰還できました。
帰途の車中、
「来年からは何かテーマを決めて行かへん??」
みたいな話になって、
「何にしよ?」
とふと見上げたところに、車内の吊り広告
「豊川稲荷」の紹介が、、、
今回も、元乃隅稲成神社だったし、、
「稲荷だぁ」
ということで、2019年の18切符は「稲荷神社めぐり」をテーマにすることに決定。
3月に、大本尊(神社でもそういうのかな??)である京都伏見稲荷を皮きりに
まずは豊川稲荷へ
「ゴー!」
となりました。