エトセトラ

昭和フォーク突っ込み「神田川」

私が高校生だった1969~1971年
色々なことがあった。

・安田講堂紛争からの東大入試中止
(翌年東大受験を目指していた先輩は倍率高くなると嘆いていた)
・70年安保闘争
・大阪万博
(友人と2人で行って楽しかった)
・よど号ハイジャック
(春の高校野球中継が度々中断、ニュースの間に島本がHR打ってたり)
・三島由紀夫割腹
・あさま山荘事件

1960年代はフォークソング=反戦歌
あるいは社会風刺だったのが
この頃からチマチマとした四畳半ソングに変わって

「なんじゃ、これ」

と思いつつも吉田拓郎とかにハマってた時代、懐かしい…
私的にはよしだたくろうではなくて吉田拓郎なのだ。

高3の現国の授業、どういうお題を出されたのかは忘れてしまったけど
先生がある生徒のノートを見て読み上げた。

「誰かが言ってたぜ、俺は人間として自然に生きてるんだと、
自然に生きてるってわかるなんて、なんて不自然なんだろう」

先生曰く
「なかなか素晴らしいじゃないか」

私、心の中で
「え?コレ、どこかで聞いたことある・・・そや、深夜放送やん」

そう、不真面目な人間は勉強するふりをして深夜放送に興じてたのです。

最近、YouTubeで懐かしの〇〇という特集とかがよくあるので
それこそ懐かしく聞いている。

聞いているのだが、当時は何も疑問に思わず口ずさんでいた歌詞、
今、聴くと

「なんか変」

なのだ。

まずは大ヒットした「神田川」

銭湯は私も学生時代、通ってたので違和感はない。
シャンプーのことを「洗髪」といい、別料金をとられた。

♪一緒に出ようねって言ったのにいつも私が待たされた♪

男のくせにどんだけ長湯やねん!

♪小さな石けんカタカタなった♪

寒くてガタガタ震えてる、ってこと?
あり得んでしょ、風邪ひくやん!
石けん鳴る、って相当寒い…

♪あなたは私の体を抱いて冷たいね、って言ったのよ♪

冷たくなるまで待たせたんは誰やねん!

♪三畳一間の小さな下宿♪

イヤ、無理です!
実は三畳一間の下宿で1年間過ごしたことがある経験者にとっては
三畳一間で2人暮らしは・・・ムリです!

何故に、こんな惨めったらしい歌が流行ったのか???

24色の色鉛筆で似てない似顔絵描いてるヒマがあったら、
バイトして稼げよ!

あくまでも現実離れした歌の世界だ、ということはわかっております。

わかった上での・・・・